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結城吉之助 : ウィキペディア日本語版
結城吉之助[ゆうき きちのすけ]
結城 吉之助(ゆうき きちのすけ、1910年明治43年)7月5日-2003年平成15年)12月17日)は日本の政治家。山形県村山市長、引揚者団体全国連合会副理事長。
== 略歴 ==
1910年(明治43年)7月5日、山形県に生まれる。1933年昭和8年)に法政大学を卒業し、鏡泊学園に第一期生として入学する。2年目からは鏡泊学園の教官に任命されるが、応召され、咸興歩兵第74連隊兵役を務める。
なお、鏡泊学園は、創立者山田悌一を含む学園関係者等15名が匪賊により殺害され、また、学園の財政難もあいまって、創立3年で学園は解散する。
除隊後、満州国官吏となり、吉林省懐徳県街村指導官、1938年(昭和13年)に伊通県地方課長、1940年(昭和15年)に樺甸県総務部長、1942年(昭和17年)から満州国協和会に出向し、鶏寧県本部事務長、協和会副参事に就任する。
敗戦により引き揚げ後、団体職員などを経て、自由党総裁吉田茂の秘書になる。1951年(昭和26年)、山形県議会議員(5期)に当選し、1970年(昭和45年)に村山市長選に出馬し、当選する。
また、引揚者団体全国連合会副理事長、山形県日中友好協会副会長を務めた。
2003年(平成15年)12月17日に死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「結城吉之助」の詳細全文を読む



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