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結城基光[ゆうき もとみつ] 結城 基光(ゆうき もとみつ、1349年(正平4年/貞和5年) - 1430年6月1日(永享2年5月11日))は、室町時代中期の武将。下野守護。家系は結城朝光を祖とする結城氏。基光は第9代当主にあたる。 ==概要== 父は第8代当主・結城直光(結城朝祐の子で、直光の弟とする説もある)。子には第10代当主結城満広、小山泰朝がいる。結城合戦で有名な第11代当主結城氏朝は孫にあたる。 元服の際にその当時の鎌倉公方であった足利基氏から偏諱の授与を受けて基光と名乗る〔荒川善夫 「総論Ⅰ 下総結城氏の動向」(所収:荒川善夫 編 『シリーズ・中世関東武士の研究 第八巻 下総結城氏』(戎光祥出版、2012年)P.15)。また、偏諱を受けたという直接的な表現ではないが、「結城系図」(東京大学史料編纂所架蔵謄写本(原本は松平基則氏所蔵))の基光の付記にも「基光謁鎌倉基氏、称八家衆」(基光 鎌倉(の)基氏に謁し、八家衆と称す)という、基氏との関係性を窺わせる記載が見られる(『結城市史』第一巻 古代中世史料編(結城市、1977年)P.665)。〕。年代的に考えればそれからまもなくして基氏が亡くなり、その子である足利氏満が第2代目の鎌倉公方となる。基光も引き続き氏満に臣従した。 小山義政の乱の際には、結城氏は小山氏の庶流でありながら鎌倉府に味方して小山義政の討伐に活躍したので、下野守護職を得た。なお、氏満は小山氏の名跡が絶えるのを惜しみ、基光の子である泰朝に小山氏の名跡を継承させたため、結城氏の力はさらに増大した。氏満亡き後も3代満兼、4代持氏に臣従し、上杉禅秀の乱に際しても持氏に従って乱の鎮圧に尽力している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「結城基光」の詳細全文を読む
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