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結城朝広 : ウィキペディア日本語版
結城朝広[ゆうき ともひろ]
結城 朝広(ゆうき ともひろ、建久元年(1190年)- 没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将佐々木文昭結城朝広 」朝日日本歴史人物事典〕〔結城朝広 デジタル版 日本人名大辞典+Plus〕。結城氏の第2代当主。初代当主、結城朝光の長男。母は伊賀朝光の娘。正室安保実光の娘。
通称は結城七郎。承久3年(1221年)、承久の乱では幕府側に与して北陸道の大将として参戦し、越中における朝廷軍との戦いで戦功を挙げた。その功績により、兵衛尉・左衛門尉に任じられる。その後、検非違使となって京都の警護に功を挙げ、仁治3年(1242年)には正五位下、大蔵権少輔に任じられた。その後はそれまでの功績をもって幕政で重きを成し、結城氏の全盛期を創出した。
没年は詳しく分かっていないが、文永11年(1274年)を最後に史料から姿を消しているため、恐らくはこの年の前後に死去したものと思われる。
家督は子の結城広綱が継いだ。また、もう一人の子結城祐広は分家して白河結城氏の祖となった。他の子としては、関朝泰藤姓関氏)、金山時広平山信朝などがいる。
== 脚注 ==



ともひろ


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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