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結城氏 : ウィキペディア日本語版
結城氏[ゆうきし]

結城氏(ゆうきし)は、平安時代末期から戦国時代にかけて、主に下総で活動した一族(大身)。通字として「」(とも)や「」(ひろ)が名前に用いられている。
== 出自 ==
鎮守府将軍藤原秀郷の末裔・小山朝光(結城朝光)が平安時代後期に源頼朝の挙兵に従い、志田義広滅亡後の鎌倉時代には下総の結城(茨城県結城市)を領した事が結城氏(下総結城氏、本記事中では一部を除き単に「結城氏」と記す)の始まりであるとされている。なお、朝光の実家である小山氏の本拠である下野国の小山(栃木県小山市)に隣接していることから、結城も元々小山氏の所領であったとする考えもあるが、朝光自身が自分は父の遺領を伝領せず、頼朝の配下となって初めて所領を得たと語っていること(『吾妻鏡』正治元年10月27日条)、治承合戦期まで結城郡では古くからの郡司であったと推定される簗氏・人手氏や常陸平氏系の行方氏が支配していたと推定されることから、結城郡には元々小山氏一族の影響は及んでおらず、一連の合戦を通じて没落した行方氏らに代わって朝光が頼朝から結城郡を「新恩」として与えられたと考えられている。〔松本一夫『下野中世史の世界』(岩田書院、2010年) ISBN 978-4-87294-616-1 第2章「寒河尼」〕
家伝によれば、朝光には源頼朝御落胤説があり、北条氏のために親子の名乗りができず、その代わりに身分の上では小山氏の庶子に過ぎなかった朝光にあらゆる優遇を施した、と伝える。伝統的に源氏を称し、代々の当主も「頼朝」の「朝」の字を通字としている。いくつもの動乱の時代を経て、鎌倉以来の名族としてその家名を後世に伝えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「結城氏」の詳細全文を読む



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