|
給食(きゅうしょく)とは、特定多数人に対して専門の施設を用いて組織的・継続的に食事を提供するもの〔中村丁次ほか編『食生活と栄養の百科事典』丸善 p.949 2005年〕〔外山健二・幸林友男・曽川美佐子・神田知子編『栄養科学シリーズNEXT 給食経営管理論 第3版』講談社 p.1 2012年〕〔坂口久美子・植田哲雄編『エキスパート管理栄養士養成シリーズ 給食経営管理論』化学同人 p.1 2006年〕〔香西みどり・小松龍史・香西みどり編『スタンダード栄養・食物シリーズ15給食マネジメント論』東京化学同人 p.1 2014年〕。また、喫食者側からは「給食」とはその継続的に提供される食事のことを指すことになる〔。 == 概説 == 一般には、学校等(小学校、中学校、幼稚園など)、福祉施設(保育所、児童養護施設、老人ホームなど)、工場あるいは病院、寄宿舎、軍隊〔日本では自衛隊〕、刑務所などで一定の特定多数人のために食事を供すること、あるいはその食事そのものである。一般の飲食店のように不特定多数に食事を提供するものは「給食」ではない〔とされる。 給食は一般に、調理作業の能率化、調理場施設における衛生管理や栄養管理が行われている。その反面、集団給食では献立を自由に選択することが難しくなるといった欠点もあり、嗜好調査などの調査が実施されることがある〔大河内一男・吾妻光俊編『労働事典』 p.572 1965年〕。また、現在ではカフェテリア方式なども普及している。 「給食」という言葉の語源は、古代日本の律令制における高等教育・官人育成を目的とした大学寮の設置に遡る。大学寮の学生は直曹と呼ばれる学舎兼学生寮に住むこととなっており、大学寮から学生に対して給付した食事を給食と称した〔給食の財源は勧学田と呼ばれる田地からの収入で行われたが、後に荒廃したために給食の支給は行われなくなった。これに対して有力な貴族は大学別曹を設置して一族の学生を住まわせて給食を支給して、大学寮に通わせることでこれを補った。これによって大学寮からの給食を受けられなくなった他氏の学生は減少し、大学別曹からの給食を支給された学生が大学寮の学生の地位を占めて官人に任官されるようになり、平安時代中期以後には貴族・官人の特定氏族による独占化を促進することとなった。〕。 日本での給食(食事の提供)としては、歴史的には平城京での宮廷人に対するもの〔岡田哲著『たべもの起源事典』東京堂出版 p.217 2003年〕、東大寺大仏殿建立の際の人夫への給食〔、鎌倉時代の僧院におけるもの(道元『典座教訓』『赴粥飯法』)〔坂口久美子・植田哲雄編『エキスパート管理栄養士養成シリーズ 給食経営管理論』化学同人 p.5 2006年〕〔、江戸時代の小石川養生所での貧困患者に対して行われたもの〔などについて記録がある。ただ、組織的に行われた給食は明治時代の紡績工場や軍隊での給食からであるといわれ〔、1872年(明治5年)に官営富岡製糸場において給食が導入された〔〔。 学校給食、病院給食、事業所給食それぞれの歴史については各節を参照。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「給食」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 School meal 」があります。 スポンサード リンク
|