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統一マケドニア(とういつマケドニア、マケドニア語:、ラテン文字転写:''Obedineta Makedonija'')は、スラヴ系マケドニア人の民族主義者による民族統一主義の概念である。その目標は地域としてのマケドニアの統一であるとする。 彼らによれば本来、マケドニア地域全土がスラヴ系マケドニア人の故郷であり、1913年の第二次バルカン戦争によって交戦国であったセルビア王国、ギリシャ王国およびブルガリア王国により、ブカレスト講和条約(en)の結果不当に分割されたものであると主張している。 統一マケドニア主義では、これらの地域を統一して単一国家とし、現ギリシャ領のソルン(、''Solun''、テッサロニキのこと)を首都とすることを主張している〔Greek Macedonia "not a problem", ''The Times'' (London), August 5 1957〕。この用語は1900年代初頭から使われ、特にバルカン共産主義連邦構想と関連を有していた。 現在ではマケドニア共和国政府は周辺国への領土主張を撤回し、統一マケドニア主義者への支援はなされていない。一方でこの考えは、マケドニア人に広く知られている。 == 概要 == スラヴ系マケドニア人の間では、一般にマケドニア地域を次のように区分する。この地域区分はスラヴ系マケドニア人やその民族主義者に限ったものではないものの、ギリシャ人やブルガリア人にとっては攻撃的と捉えられる。 ; ヴァルダル・マケドニア(、''Vardarska Makedonija'') : 現在のマケドニア共和国に相当する地域 ; エーゲ・マケドニア(、''Egejska Makedonija'') : ギリシャ共和国北部にあるマケドニアの名前を冠する3つのペリフェリエス(州)にあたる地域 ; ピリン・マケドニア(、''Pirinska Makedonija'') : ブルガリア南西部のブラゴエヴグラト州の通称 ; マラ・プレスパおよびゴロ・ブルド(、''Mala Prespa i Golo Brdo'') : アルバニア共和国南東部の、おおよそコルチャ県、ポグラデツ県、デヴォル県に相当する地域。エーゲ・マケドニアの一部に含められることもある。 ; ゴーラおよびプロホル・プチニスキ(、GoraおよびProhor Pčinjski) : それぞれコソボ南部およびセルビア南部。ヴァルダル・マケドニアの一部に含められることもある。 この概念は、マケドニア地域の住民の大多数は抑圧されたスラヴ系マケドニア人であり、彼らの住む地域はマケドニアの「未解放の」一部であるとする主張を基底としている。彼らの主張では、ブルガリアおよびアルバニアにおける人口統計では民族的マケドニア人が実際よりも少なく数えられているとしている。 アルバニアでは公式には民族的マケドニア人の人口を5千人としているが、マケドニア人民族主義者は12万-35万程度〔http://www.florina.org/html/2003/2003_osce_albania.html〕であると主張する。ブルガリアでは、公式には民族的マケドニア人の人口を5,071人としているが、マケドニア人民族主義者は20万人〔 Center for Documentation and Informationon Minorities in Europe - Southeast Europe 参照〕と主張する。 ギリシャにおいては、自らをギリシャ人、ブルガリア人、あるいはマケドニア人と規定する多様な自己規定をもったスラヴ系少数民族が10万-20万人(ギリシャ・ヘルシンキ委員会による)暮らしており、そのうちわずか1万-3万人が自らを民族的マケドニア人であると規定している〔 GREEK HELSINKI MONITOR (GHM) & MINORITY RIGHTS GROUP – GREECE (MRG-G) 参照〕。マケドニア人民族主義者は、ギリシャにおける民族的マケドニア人は80万人〔Patrides, Greek Magazine of Toronto, September - October, 1988, p. 3.〕と主張する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「統一マケドニア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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