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革命統一戦線(かくめいとういつせんせん、Revolutionary United Front、略称RUF)とは、かつてシエラレオネに存在した反政府武装集団である。シエラレオネ内戦に深く関与し、一般市民の虐殺・暴行、都市の破壊、各国の調停団を拘束するなどの行動が国際的な非難を浴びた。内戦終結後は革命統一戦線党(RUFP)として政党に改組したものの、党勢はふるわず、2007年に全人民会議(APC)と合併した。 == 経緯 == * 1970年代 腐敗し強権的な政府にたいして民主化を求める学生運動が盛んになるが弾圧された。 * 1984年 フォーラー・ベイ・カレッジで学生による政府へのデモ運動が起こる。 * 1985年 フォーラー・ベイ・カレッジでリビアのカダフィ大佐のイスラム社会主義の革命に共感する、学生41人を危険として退学処分。 * 1987年 運動の参加者であるアハメド・フォディ・サンコーがリビアで軍事訓練を積み、若手将校たちとともに創設。 * 1991年 隣国リベリアの支援を得て同国領内からシエラレオネに侵攻。腐敗した政府の打倒を目的とし、当初は占領地域の住民に対して政治教育をしていた。これに対してシエラレオネ政府は、ナイジェリアに派兵を仰ぎ、序盤から周辺諸国の代理戦争の形を呈する。 * 1992年 各地で攻勢を強める * 1994年 この頃から政治性は影を潜め、略奪や暴行が中心の集団になる * 1996年 政府と和平協定に調印 * 1997年 軍事クーデター発生により内戦再発 * 1998年 前年の軍事クーデターが失敗、西アフリカ諸国経済共同体の軍事的支援の下、前の文民政権の大統領(アフマド・テジャン・カバー)が復帰したため戦闘が激化 * 1999年 政府側と停戦に合意。革命統一戦線は政府に参画し、戦闘員は武装解除後に国軍と統合することで合意。その後、警察当局にサンコーが拘束される * 2000年 シエラレオネ政府との停戦。国際連合シエラレオネ派遣団(UNAMSIL)主導で武装解除のミッションが行なわれる。 * 2003年 ジュネーヴ条約の人道に対する罪で告訴され、シエラレオネ特別法廷で裁判が予定されていた、RUFの元司令官の軍人サム・ボックカリエが死亡。RUFの指導者であったアハメド・フォディ・サンコーが死去。 * 2004年 UNAMSILにより7万人以上の戦闘員に対する武装解除が終了。政党に改組。 * 2007年 全人民会議(APC)に吸収合併、消滅。 * 2009年、RUFの生き残りの司令官だったオーガスティン・グバオ、イッサ・セセイ、モーリス・カロンらが、戦争犯罪と人道の罪で有罪判決。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「革命統一戦線」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Revolutionary United Front 」があります。 スポンサード リンク
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