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統合進歩党(とうごうしんぽとう; 통합진보당)は、韓国にかつて存在した左派政党。2014年12月19日に大韓民国憲法裁判所に「強制解散」を宣告され、中央選挙管理委員会に政党登録を抹消された。略称は「進歩党」(チンボダン)や「統進党」(トンチンダン)と称するのが一般的である。 == 概要 == 2011年12月5日、左派政党である民主労働党(以下、民労党)と社会自由主義政党の国民参与党(以下、参与党)および進歩新党脱党派の「新しい進歩統合連帯」(以下、統合連帯)が合同して結成された。 2012年末に行われる大統領選挙の前哨戦となった4月の総選挙では最大野党である民主統合党(以下、民主党)と選挙協力を実施、与党セヌリ党の不毛地帯である全羅道を除いた地域区で統一候補を擁立して戦った結果、13議席(うち比例代表6)を獲得した。しかし選挙後に比例代表候補選出不正疑惑が発覚、不正選挙を否定する党権派と不正選挙を認め刷新を求める非党権派が激しく対立、中央委員会が党権派党員によって妨害されて中断に追い込まれる事態に陥った。その後、非党権派と党権派が共に非常対策委員会を組織する事態となり、統合進歩党は事実上の分裂状態になった(後述)。 指導部選挙は、インターネット投票と現場投票およびモバイル投票で25日から28日まで行われる予定であったが、インターネット投票初日からサーバーに技術的障害が発生したため中断された。改めて7月9日から14日に掛け、オンライン投票と現場投票、ARSモバイル投票で党指導部選出選挙が行われた結果、新党権派の姜基甲候補が旧党権派の候補を大差で破って當選、最高委員も新党権派が多数を占めた。しかし、旧党権派議員の除名が否決されたことをきっかけに離党者が続出、新党権派は党を解散した上で党刷新に反対する旧党権派を排除した新たな政党を結成する方針を固めた。 党再建に向けた旧党権派との交渉が不調に終わったことを受け、姜代表は9月6日に党の分党を宣言した。これにより分党に向けた手続きが取られることになったため、進歩党は党結成から1年も経たずに分裂することになった。新党権派議員4名の自発的除名(7日)、姜基甲代表離党(10日)、権永吉・千永世前民労党代表の離党(11日)など議員や党重要幹部の離党が相次いだ他、旧参与党系の党員7000名余りも集団離党した。一方、旧党権派は新党権派関係者の離党が相次いだ事を受け、緊急党大会の開催を決定するなど党の再整備に乗り出した。 9月16日に臨時党大会が行われ、カン・ビョンギ前慶尚南道副知事を非常対策委員長に任命、10月20日までに大統領候補を選出することを決定した。10月15日から五日間行われた党内選挙の結果、65%弱の支持を得た李正姫前共同代表を進歩党の大統領候補に選出した。しかし、投票日を目前に控えた12月16日、「国民が望む政権交代を実現するため」として立候補辞退した。 2013年2月18日から22日にかけて行われた党職者選挙の結果、李正姫前共同代表が投票した選挙権者の九割以上の賛成を得て新たな党代表に選出された。 2014年12月19日、大韓民国憲法裁判所の審判により、統合進歩党は「親北」・「民主的基本秩序に反する」政党と判断され、強制解散の決定を下された。同党は即刻解散し、所属の大韓民国国会議員5名は議員の資格を喪失した〔。同日、大韓民国の中央選挙管理委員会はこの解散宣告を受け、同党の政党登録を抹消した。 2016年2月、北朝鮮本国の指示のもと、日本にある朝鮮大学校の元幹部が統合民主党や前身の民主労働党を支援していたことが判明している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「統合進歩党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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