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網切一郎 : ウィキペディア日本語版
網切一郎[まんじょる いるらん]

網切 一郎(マンジョル イルラン、、日本名:あみきり いちろう、1942年9月5日 - 2012年8月21日)は大韓民国慶尚南道梁山市に在住する日系韓国人であり、韓国の本貫である島間網切氏の始祖である。キノコ栽培に尽力し、韓国ではキノコ博士として慕われている。
==来歴==
1942年、バス会社経営者の父〔警察官説あり。複数の資料・報道の間に諸説あり、異説については主に竹中論文に依る。この頃の経緯について今日では本人は多くを語らないという。以下同。〕の一人息子として〔母は朝鮮人説、日本人説あり。〕慶尚南道で生まれる。1945年8月15日、終戦に伴い父は日本の支配から解放された朝鮮人によって自宅に軟禁された。たまたま近隣の家に遊びに行っていた一郎は難を逃れたが、父は息子と再会することなく日本に強制送還された。残された一郎は近隣の韓国人一家に引取られ〔朝鮮人の実母説あり。〕、この家族の下、韓国人として過ごすが、高校生となった時自らの出自について偶発的に知ることとなり、衝撃を受ける〔幼少の頃から周辺より恒常的に「半チョッパリ」と迫害を受けていたとの説あり。〕。
1967年より肉親探しを始め、1968年NHKの報道を介して父より便りが届き、肉親の存在が確認された。一郎は一刻も早い実父との再会を望んだが、韓国民となっていた彼は兵役を果たしていないことを理由に出国を認められなかった。この年より2年間の兵役に就くが、その間に父は亡くなってしまう。
1970年、日本への帰国を果たし日本国籍を回復したが、血縁者がいなくなった日本より自らを育んだ韓国の国籍を選択し、韓国に帰化。父の出身地である鹿児島県南種子町島間(しまま)を本貫とする「島間網切氏(トガンマンジョルシ)」としてその始祖となった。
帰化後、韓国の養親の親類から譲り受けた農園でキノコ栽培を手がける。1994年には韓国内で初めてエリンギ栽培に成功し、2001年、30年間培われたキノコ栽培技術が認められて、第35回新農民賞大統領賞を受賞した。この間、地元の里長(町長に相当)も歴任。これらの実績により「キノコ博士」として慕われており、また日韓農家の交換ホームステイにも取り組み、日韓親善に尽力している。
2012年8月12日、69歳で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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