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大原重実 大原 重実(おおはら しげみ、1833年10月24日(天保4年9月12日)- 1877年(明治10年)9月6日〔『明治維新人名辞典』208頁。〕)は、幕末の公家、明治期の官僚・華族。幼名・常丸〔。旧名・綾小路俊実(あやのこうじとしざね)〔『幕末維新大人名事典』上巻、「綾小路俊実」62頁。〕。 ==経歴== 山城国京都で、大原重徳の息子として生まれる〔。天保8年1月(1837年)叙爵し、その後、備後権介に任官〔。安政元年12月(1855年)綾小路有長の養子となり俊実と改名〔〔。侍従に就任〔〔。文久3年3月(1863年)濫りに諸藩士と交わったことにより閉居を命ぜられた〔〔。 慶応4年1月(1868年)滋野井公寿と共に赤報隊の盟主に擁立されたが、活動中の金穀強要などを咎められ召喚令が出され帰京した〔。同年1月24日(2月17日)大原家復籍と相続を命ぜられ、名を重実に復した〔。同年2月30日(3月23日)海軍先鋒となり、以後、海軍先鋒総督、江戸鎮台補、関八州監察使、左近衛権少将、権弁事、弁官事、東北諸藩賞罰取調掛、皇居造営御用掛、公議所議長、兼制度寮副総裁などを歴任〔『百官履歴 上巻』185-188頁。〕。明治2年6月2日(7月10日)戊辰の戦功により賞典禄100石を永世下賜された〔。以後、領客使、第一次酒田県知事、外務省七等出仕、同六等出仕などを歴任〔。1873年1月17日、父・重徳の隠居により家督を相続〔。1875年12月5日、外務少丞、1877年1月11日、外務少書記官に就任した〔。同年9月、自邸で強盗に襲われ死去した〔〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大原重実」の詳細全文を読む
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