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綾若真生[あやわか まさお] 綾若 真生(あやわか まさお、1909年3月3日 - 1989年11月10日)は、元大相撲力士である。青森県南津軽郡(現在の黒石市)出身、本名は高橋勝雄(たかはし かつお)。出羽海部屋所属。最高位は西前頭5枚目(1940年1月場所)。現役時代の体格は170cm、82kg。得意手は右四つ、下手投げ、捻り、足癖、とったり。 == 来歴 == 農家に生まれ、幼少時から力が強く米2俵を両手に担ぎ近在の評判になったという。同じ津軽出身の綾櫻を慕って上京、出羽海部屋に入門して1925年1月場所に綾櫻に因んだ「綾若」の四股名で初土俵を踏んだ。綾櫻や大ノ里らの指導を受け、入門から5年後の1930年5月場所で十両に昇進した。 しかし東十両11枚目で迎えた1932年1月に春秋園事件が起こった。綾若は綾櫻に従って相撲協会を脱退した。天竜・大ノ里が率いる大日本相撲連盟(1933年から関西角力協会)にいたが1年もたたずに離れて協会に帰参、1933年1月場所に十両格別席で復帰した(この時の別席番付では「綾若完三郎」の名で最後尾に載っている)。復帰後4場所目の1934年5月場所に入幕を果たした。 小兵軽量だが筋肉質の体型で、右を差して食い下がってから投げや捻り、足技やとったりなど多彩な技を繰り出し、常に土俵狭しと動き回る取り口で人気があった。十両に2度陥落したが主に幕内中位で相撲を取り、1941年1月場所4日目には日の出の勢いだった関脇照國(のち38代横綱)をうっちゃりで破った。柔らかく腰が重い、しかも相撲巧者の照國をうっちゃって見せたことからその技量はなかなかのものだったとされている。 1942年5月場所、西前頭20枚目張出で7勝8敗と負け越したのを取り納めとして引退、協会には残らず廃業した。その後は東京都杉並区で接骨院を営むかたわら自彊術を教えていた。出羽海部屋OBで構成する「友愛会」には毎年のように顔を出し続けたという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「綾若真生」の詳細全文を読む
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