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綾部 鎮幸(あやべ しげゆき、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。龍造寺氏の家臣。初名は賢幸。受領名は備前守〔。父は綾部泰幸。肥前国白虎山城主。 神代勝利、八戸宗暘、小田政光、筑紫惟門などに代表される東肥前十九城将の一人〔『戦国人名辞典 コンパクト版』、57ページ中段右〕。 肥前国綾部庄の地頭・綾部通俊の末裔。天文20年(1551年)、村中城(現在の佐賀城)に拠っていた龍造寺隆信の宗家相続に反対し、龍造寺鑑兼に属した〔。 永禄元年(1558年)の江上武種攻めに従い、天正3年(1575年)以降も龍造寺氏に従って活躍した〔。 == 参考文献 == *『戦国人名辞典 コンパクト版』- 阿部猛・西村圭子著、新人物往来社 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「綾部鎮幸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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