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綿貫観音山古墳(わたぬきかんのんやまこふん)は、群馬県高崎市綿貫町にある前方後円墳。国の史跡に指定されている(指定名称は「観音山古墳」)。 6世紀後半(古墳時代後期)の築造と推定され、数多くの副葬品が出土したことで知られる。 == 概要 == 綿貫観音山古墳は、高崎市の市街地の東方6キロメートル、井野川西岸の平野に立地し、北面して築造されている。規模は、 * 墳丘長97メートル * 後円部径61メートル・高さ9.6メートル * 前方部幅64メートル・高さ9.4メートル を有し、二段築成で、二重の馬蹄形の周堀を持ち、また、上記のとおり、前方部の幅と後円部の径、前方部の高さと後円部の高さはほぼ等しい数値を示しており、きわめて整然とした形態を有している。 出土した副葬品や須恵器の特徴から6世紀後半以降の造営と見られている〔財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団(2004年)、77頁〕。墳丘上の各所には埴輪を配置しているが、葺石は全く認められない。1973年(昭和48年)4月14日、「観音山古墳」〔富岡市岡本中高瀬にも「観音山古墳」がある。これは、「中高瀬観音山古墳」の名で国の史跡に指定されている。〕として国の史跡に指定され、現在は史跡公園として整備されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「綿貫観音山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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