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緋縅新太郎 : ウィキペディア日本語版
緋縅力弥 (4代)[ひおどし りきや]
緋縅 力弥(ひおどし りきや、本名:鎌田 全吉(かまた ぜんきち)、1922年8月22日-1970年1月2日)は、秋田県南秋田郡昭和町(現役当時、現・同県潟上市)出身で、1950年代に活躍した大相撲力士である。引退後は年寄として、後進を指導した。現役時代の体格は179cm、120kg。自己最高位は、東前頭10枚目(1954年1月場所)。
== 来歴・人物 ==
18歳の時に上京して錦嶋部屋へ入門し、1941年1月場所で初土俵を踏んだ。
当初の四股名は、若大蛇(わかおろち)。間も無く、緋縅(ひおどし)と改名した(下の名は初めは新太郎、のち、力弥)。
序ノ口に付いてから、1度も負け越す事無く、1946年11月場所で十両昇進を果たした。
その後、1950年1月場所にて新入幕
左四つの体勢からの吊り、寄りを得意とした。だが、出足が鈍くゆったりとした相撲ぶりであったためか、上位進出は叶わなかった。
現役晩年は幕下まで番付を落とし、1958年11月場所後、36歳で引退
引退後は、年寄立川を襲名した。のち、錦嶋部屋から独立して立川部屋を興したが、関取は育てられずに数年で部屋を閉鎖した。
以降も後進の育成に当たっていたが、1970年1月場所前に心筋梗塞で急逝した。47歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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