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総寧寺 : ウィキペディア日本語版
總寧寺[そうねいじ]

總寧寺(そうねいじ・総寧寺)は、千葉県市川市国府台にある曹洞宗寺院江戸時代関三刹として曹洞宗の宗政を司った。山号安国山(あんこくざん)。隣接して里見公園がある。
== 歴史 ==
永徳3年(1383年)、近江守護佐々木氏頼(六角氏頼)が通幻寂霊を招聘して、同国坂田郡寺倉(現・米原市寺倉)に總寧寺として建立した。
享禄3年(1530年)、戦乱によって總寧寺が焼失。8世住持越翁宗超は、遠江国掛川に退避して同地に常安寺として再建した。この常安寺は永禄年間に戦乱によって焼失。住持らは常陸国に落ち延びた。
天正3年(1575年)、常安寺は北条氏政によって関宿宇和田(現在の埼玉県幸手市)に移転。これは常安寺再建を図る11世住持義翁盛訓の嘆願と関宿城簗田氏に対する氏政の牽制策の合致によるとされている。その後、総寧寺の旧称に復す(時期は不詳)。北条氏からは20貫、同氏滅亡後の新領主・徳川氏からは改めて20石が与えられた。
元和3年(1617年)、徳川秀忠によって関宿内町(現在の千葉県野田市)に移転。寛文3年(1663年)、徳川家綱によって現在地(国府台城跡地)に移転。これは江戸川の洪水を避けるためという。2年後に寺領として128石5斗を与えられ、曹洞宗関東僧録司となった。
寺は嘉永3年頃(1850年)焼失し、文久2年(1862年)再興された。明治維新後、寺領が新政府により上知されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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