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法務 (仏教)[ほうむ] 法務(ほうむ)とは、日本の仏教界・諸大寺の庶務を管轄して僧尼を統率する役職。後に権法務及び総法務が設置され、本来の法務は正法務とも呼ばれた。 == 概要 == 本来は僧綱の最高位である僧正が兼務している職務の1つで、古代には観勒・行信・慈訓・鑑真・護命が任じられたとされている。 貞観14年3月14日、清和天皇は形骸化した僧綱に代わって東寺長者真雅を法務に任じて密教の寺院・僧尼を統括させ、興福寺大威儀師延寿を権法務に任じて密教の寺院・僧尼を統括させることで僧綱の業務を行わせた。以後、東寺長者の筆頭である一長者が必ず法務に任じられる慣例となった。ただし、唯一の出典である『東寺長者補任』は、密教の優位性を示すために延寿を権官としたもので、実際には法務が2名任じられたとする説がある。この説では後にもう1つの法務職も東寺から出されるようになったために、一長者を正官、もう1人を権官とみなしたことから「権法務」という称が発生したとしている。 花山天皇の時代に東寺の寛朝とともに元杲、ついで良源と東寺以外の密教僧が権法務に任じられた。後白河院政下の仁安2年(1167年)、実弟の覚性入道親王(仁和寺門跡)を総法務に任じて(正)法務である東寺長者の上に置いた。これが先例となって、鎌倉時代には仁和寺から総法務が出されて全国の寺院・僧尼を統括する事例が生じた。更に南北朝時代には大覚寺門跡からも総法務が出されることになり、仁和寺・大覚寺によって全国の寺院・僧尼が掌握されることとなる。だが、室町時代に入ると室町幕府によって僧録所が設置されると、全国の寺院が武家政権の監督下に入るようになり、総法務・法務・権法務のいずれもが名誉職となった。明治維新とともに廃止される。
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