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総督府ポーランド警察(独:Polnische Polizei im Generalgouvernement、波:Policja Polska Generalnego Gubernatorstwa)は、ナチス・ドイツのポーランド総督府領に置かれていた警察組織。青い襟章と紺の制服から「青い警察(波:granatowa policja)」と呼ばれていた。総督府領の法と秩序を維持するためにナチス・ドイツにより設置されていた。 同様の警察組織はドイツ占領下の国すべてに存在した。初期は刑事犯罪の取り締まりだけに動員されていたが、後に総督府領のゲットーのユダヤ人によるゲットー外からの密輸の取り締まりにも動員された。ポーランド人のみで構成されるわけではなく、地元民による志願制で構成されていた。1944年8月27日にポーランド国民解放委員会により解散させられた〔 〕〔 〕。 == 組織 == ドイツ軍のポーランド侵攻後の1939年10月、ポーランド総督に就任したハンス・フランクは、戦前からのポーランド警察をドイツ警察の補助に動員するよう命じた。従わないポーランド警察官たちは死刑に処された〔 〕。 ドイツ当局の計画では1万2000人ほどの規模になることを予定していたが、実際の人数はもっと少なかった〔 〕〔 〕。しかし、1万4300人と見積もる情報源もある〔 〕。ヤド・ヴァシェムのホロコースト大辞典(:en:Encyclopedia of the Holocaust)によると、1940年2月には8,700人だったが、それが1943年に1万6000人となり、最高潮に達したとしている〔''Encyclopedia of the Holocaust '' entry on the Blue Police, Macmillan Publishing Company, New York NY, 1990. ISBN 0028645278.〕。総督府ポーランド警察は主にポーランド人と総督府領東部から来たポーランド語を話すウクライナ人によって構成された〔 総督府ポーランド警察に自立性はほとんどなかった。警察幹部は全員がドイツの刑事警察から来ていた。管理所在地警備警官隊(Schutzpolizei)、鉄道警察(Bahnschutz)、森林警察(Forstschutz)、および国境警察(Grenzschutz)などと共に補助警察としての役割を果たした〔 〕。総督府ポーランド警察は秩序警察の下部組織であった〔。 ドイツ当局の見地からの総督府ポーランド警察の役割は、ドイツ警察が他の仕事に回れるよう、代わって総督府の治安を維持する事にあった。全ドイツ警察長官の親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーも1940年5月5日の命令の中で「一般的警察業務を総督府に提供することが、総督府ポーランド警察の役割である。ドイツ警察は介入したいと考えた時やポーランド警察を見張る必要がある時にのみ出動するであろう。」と述べている〔 POLACY W ORGANACH POLICYJNYCH NIEMIEC HITLEROWSKICH on the pages of Wyższa Szkoła Policji w Szczecinie. 14.05.2007.〕。 総督府ポーランド警察は戦前からのポーランド警察の延長であったため、ドイツ当局とポーランド亡命政府が共にその存在を認めていた〔 〕。ポーランド地下政府(:en:Polish Underground State)は独自の司法組織と警察をもったが、それはポーランド全住民に基本的警察業務を提供できる物ではなかった(国民秘密軍(:en:National Security Corps)、民間レジスタンス理事会(:en:Directorate of Civil Resistance)など参照)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「総督府ポーランド警察」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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