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繁多寺(はんたじ)は愛媛県松山市畑寺町32にある真言宗豊山派の寺院。東山(ひがしやま)、瑠璃光院(るりこういん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第五十番札所。 松山市を見下ろす淡路山の中腹にあり、山門からの展望が素晴らしく、松山城や瀬戸内海までが俯瞰でき背後には鬱蒼とした樹木が繁る。境内周辺は景観樹林保護地域に指定されており、サクラや秋の紅葉の名所でもある。 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか ご詠歌:よろずこそ 繁多なりとも 怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ == 歴史 == 寺伝によれば天平勝宝年間、孝謙天皇の勅願により行基が開基し、孝謙天皇の勅願所となったという。その際行基が坐高三尺の如来像を彫り、本尊として、光明寺と号したが、弘仁年間に空海(弘法大師)が留まって修行し現存の山号、寺号である東山繁多寺に改称したという。 一時後衰退するが、源頼義により再興され、1279年(弘安2年)には後宇多天皇のために聞月上人が、祈祷を行なっている。また、一遍上人も当寺で学問修行したと伝えられる。上人は後に「捨聖」として遊行し、1288年(正応元年)亡き父である如仏を偲び三部経を奉納している。 1394年(応永元年)には京都泉涌寺26世快翁師が後小松天皇の命を受け繁多寺第7世の住職に就き、以降1681年〜1684年(天和年間)の寵湖など高僧が相継いで住職となるが、寵湖は徳川家の帰依を得ることとなり、4代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天を祀られることとなった。将軍家の帰依を得たことで寺は一時は隆盛をきわめ66坊と末寺100余という大寺となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「繁多寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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