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織田信家[おだ のぶいえ]
織田 信家(おだ のぶいえ、生年不詳 - 天正10年2月2日(1582年2月24日)〔『尾張群書系図部集』上 219頁〕)は、戦国時代・安土桃山時代の武将。尾張上四郡の守護代「織田伊勢守家」(岩倉織田氏)当主織田信安の次男。母は織田信秀の妹・秋悦院。兄は織田信賢。別名は津田信家。織田信長の従兄弟にあたる。 父の信安が兄の信賢を廃嫡し、信家に家督を継がせようとしたため、家督争いが起きた。それにより、北尾張の家臣団は二派へと分裂したが、信賢により、父の信安とともに信家は尾張から追放させられた。永禄元年(1558年)の浮野の戦いで兄が滅ぼされると、父は斎藤家に仕え、織田信長に抵抗したが、後に信長に罪を許された。この際に信家は信長の嫡男織田信忠付きの家臣となった。 永禄12年(1569年)、荒子城主前田利春の嫡男前田犬千代(後の前田利家)の元服の際、烏帽子親となり、家の偏諱を与えて利家と名乗らせたといわれる〔『加賀藩史料』には信長の伯父津田孫三郎信家が烏帽子親となったとあるが、信家は信長の従兄弟であり、信長の伯父・津田孫三郎(織田信光)と混同した誤りであると推定される。〕。 天正10年(1582年)、信長の甲州征伐に従うが、信濃高遠城攻略の際に武田方に討ち取られた。 == 脚注 ==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「織田信家」の詳細全文を読む
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