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織田信康[おだ のぶやす]
織田 信康(おだ のぶやす)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。犬山城築城主。織田信定の子。通称は与次郎。法名は伯厳または白厳。 == 生涯 == 尾張国の織田弾正忠家の当主・織田信定の子として生まれる。 天文2年(1533年)7月11日、兄の信秀が主家筋の織田大和守家(清洲織田氏)織田達勝と争った際、和平成立後、兄・信秀の代理として清洲城に出向いた〔『言継卿記』〕。また、1537年には犬山城に入城し、織田伊勢守家(岩倉織田氏)の織田信安の後見役も務めたとされる。兄・信秀に従い、今川氏との小豆坂の戦いなどで戦功を挙げる〔太田牛一『信長公記』巻首 「あづき坂合戦の事」〕など、政戦両面で活躍した。 天文13年、斎藤道三との戦いに従軍し、美濃稲葉山城攻め(加納口の戦い)にて戦死〔太田牛一 『信長公記』 巻首 「美濃国へ乱入し五千討死の事」〕。没年については天文16年(1547年)ともされる。子の信清は信秀・信長に対して反抗的であったため、犬山織田家は織田弾正忠家の敵対勢力の一つとなる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「織田信康」の詳細全文を読む
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