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織田信照[おだ のぶてる]
織田 信照(おだ のぶてる)は、安土桃山時代の武将。織田信秀の九男または十男。織田信長の庶弟。母は尾張熱田の商家の娘とされる。官位は越中守。織田中根、織田越中とも。 == 生涯 == 尾張熱田の商家の娘を織田信秀が強引に拉致、妾にして産ませたのが信照だと伝わる〔西ヶ谷恭弘『織田信長事典』P232〕。この生母はのちに水野信元の側室となったともいわれ、信長の弟だが、生母・中根氏の縁で遠江二俣城主・中根忠貞の養子となり、中根姓を称した(『系図簒要』)。ちなみに生母の中根氏は『尾張誌』に「尾張第一の美麗たる」と記録されている美女であった。 天正9年(1581年)年2月の京都御馬揃えの際には御連枝衆として、弟である「源五(長益)」、「又十郎(長利)」、さらには姪の入り婿である「勘七郎(織田信弌。本姓は大橋氏)」よりも後に「中根」として参加している。天正10年(1582年)に信長が死去した後は信長の次男・織田信雄の家臣となった〔。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも参戦し、奥城を守ったが、羽柴軍の攻勢に敗れて落城、捕虜となったが、信長の弟であるということから一命は助けられた。戦後は再び信雄に仕えたとされる。 信雄からは一門衆として重用され、尾張沓掛城主として2,000貫文の高禄を与えられている(『織田信雄分限帳』)。 文禄3年(1594年)7月7日、熱田神宮に長刀を寄進した記録がある。以降の動向は不明。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「織田信照」の詳細全文を読む
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