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織田 長猷(おだ ながみち、嘉永5年7月21日(1852年9月4日) - 明治13年(1880年)6月30日)は大和芝村藩主織田長易の長男。通称は敬之助。官位は従五位。 == 生涯 == 嘉永5年(1852年)7月21日誕生。明治3年(1870年)6月14日、織田信陽の七女己酉子と結婚する。明治6年(1873年)3月24日、家督を相続する。同年3月30日、従五位に叙任する。明治9年8月31日、慶應義塾に入校する。入校に際しての保証人は織田信及であった。明治13年(1880年)6月、広瀬神社宮司となるが、同月30日に29歳で死去。墓所は奈良県の慶田寺。 正室は織田信陽の七女己酉子(夫の死後、離籍)。子女はいない。弟長純が家督を相続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「織田長猷」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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