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纏向遺跡 : ウィキペディア日本語版
纒向遺跡[まきむくいせき]

纒向遺跡または纏向遺跡(まきむくいせき)は、奈良県桜井市三輪山の北西麓一帯に広がる、弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡。国の史跡に指定されている。
3世紀に始まる遺跡で、一帯は前方後円墳発祥の地と推定される。邪馬台国の中心地に比定する意見もあり、卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳などの6つの古墳を持つ。
== 立地と遺跡概要 ==
遺跡の名称は、旧磯城郡纒向村に由来し、「纒向」の村名は垂仁天皇の「纒向珠城(たまき)宮」、景行天皇の「纒向日代(ひしろ)宮」より名づけられたものである。
2011年平成23年)現在で把握されている纒向遺跡の範囲は、北は烏田川、南は五味原川、東は山辺の道に接する巻野内地区、西は東田地区およびその範囲は約3km²になる。遺跡地図上では遺跡範囲はJR巻向駅を中心に東西約2km・南北約1.5kmにおよび、およそ楕円形の平面形状となって、その面積は3km²(300万m²)に達する。
地勢は、東が高く西が低い。三輪山・巻向山・穴師山などの流れが巻向川に合流し、その扇状地上に遺跡が形成されている。
遺跡内出土遺物で最も古いものは、縄文時代後・晩期のものである。粗製土器片やサヌカイト片に混じって砂岩製の石棒破片、あるいは土偶深鉢などが遺跡内より出土しており、この地に縄文時代の集落が営まれていたと考えられている。
遺跡からは弥生時代集落は確認されておらず、環濠も検出されていない。銅鐸の破片や土坑が2基検出されているのみである。この遺跡より南に少し離れた所からは弥生時代中期・後期の多量の土器片が出土しており、方形周濠墓竪穴住居なども検出されている。また、南西側からも多くの弥生時代の遺物が出土している。ただし、纒向遺跡の北溝北部下層および灰粘土層からは畿内第V様式末の弥生土器が見つかっており、「纒向編年」では「纒向1類」とされている〔石野(2008)〕。なお、発掘調査を担当した石野博信は、「纒向1類」の暦年代としては西暦180年から210年をあてている。
纒向遺跡は弥生時代から古墳時代への転換期の様相を示す重要な遺跡であり、また、現在では邪馬台国畿内説を立証する遺跡ではないかとして注目を浴びている。3世紀前半の遺構は必ずしも多くなく、遺跡の最盛期は3世紀終わり頃から4世紀初めにかけてである。しかし、2011年に、「卑弥呼の居館」とも指摘された大型建物跡(3世紀前半)の約5メートル東側から別の大型建物跡の一部が見つかり、建物跡は造営年代が3世紀後半以降と判明。今後、造営年代が遺跡が存続した4世紀前半までの間に特定されれば、初期大和政権の重要施設だった可能性が高まるという〔〕。農業用の大型水路や無数の土坑の中には、三輪山祭祀に関する遺物のセットが多数投げ捨てられており、石塚古墳の周濠からは吉備系の祭祀遺物である弧文円板(こもんえんばん)が出土している。ピークの過ぎた4世紀末には埴輪が出土する。
飛鳥時代から奈良時代にかけては、この地域に市が発達し「大市」と呼ばれた。箸墓古墳のことを、宮内庁治定では「大市墓」というのはこのためである。奈良時代から平安時代にかけては、井戸遺構や土抗、旧河道などが検出されている。「大市」と墨書された土器も検出されている。
遺構は2013年(平成25年)10月17日に「纒向遺跡」として国の史跡に指定された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「纒向遺跡」の詳細全文を読む



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