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羅斤(ら きん、生没年不詳)は、北魏の軍人。本貫は代郡。 == 経歴 == 羅結の子として生まれた。明元帝のとき、侍御中散となった。後に太武帝に従って夏の赫連昌を討ち、奮戦して功績を上げた。散騎常侍・侍中・四部尚書に任じられ、平西将軍の位を加えられた。北涼の平定にあたって、攻城野戦に活躍をみせ、功績により帯方公の爵位を受け、長安鎮都大将に任じられた。北魏が柔然の侵攻を受けると、羅斤は召還されて、柔玄鎮都大将に任じられた。後に王俊とともに柔然に対する使者をつとめ、可汗の娘を北魏の後宮に迎えた。平西将軍のまま開府の位を受け、再び長安鎮都大将となった。死去すると、平西将軍・雍州刺史の位を追贈された。諡は静といった。金陵に陪葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「羅斤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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