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羅 青長(ら せいちょう、1918年9月4日 - 2014年4月15日)は、中華人民共和国の政治家。 ==生涯== *1918年9月4日、四川省広元市蒼溪県の農民の家庭に生まれる。 *1932年8月、中国共産主義青年団に入る。 *1931年、四川蒼溪県中学に入学、1934年卒業。 *1934年、中国工農紅軍に参加。 *1934年-1935年、中国工農紅軍第三十軍八十九師政治部宣伝員、中共川陝西省委宣伝部干事、省委党校・省委秘書を歴任する。 *1935年-1936年、紅軍武装工作隊隊長、紅軍干部大隊班長、中共中央西北局組織部干事を歴任する。 *1936年11月、中国共産党に加入。 *1936年-1938年、延安中共中央党校に学んだ、党支部書記、党総支部宣伝委員、青年委員、教員、研究員を歴任する。 *1938年-1941年、西安秘密情報領導組党支部書記に就任。 *1941年、調回延安。 *1941年-1949年、延安棗園情報訓練班党支部書記、延安中央情報部秘書、科長、第一室副主任、主任を歴任する。 *1947年3月、随毛沢東、周恩来入陝北、掌管中共中央前委敌区情報・聯絡工作。 *1949年-1955年、中共中央軍委情報部一局局長、中共中央軍委聯絡部一局局長、部長助理、副部長を歴任する。 *1954年10月、中華人民共和国国務院総理辦副主任に就任。 *1955年7月、中共中央調査部秘書長に就任。 *1957年4月、中共中央調査部副部長、中華人民共和国国務院総理辦公室副主任に就任。 *1965年2月-1966年、中華人民共和国国務院副秘書長に就任。 *1966年-1970年、文化大革命で政治迫害に遭った。 *1970年-1973年、中国人民解放軍総参謀部情報部副部長に就任。 *1973年-1983年、中共中央調查部負責人、部長、中華人民共和国国務院副秘書長、中共中央對台工作領導小組副組長兼辦公室主任を歴任する。 *1973年-1987年、中共第十回、十一回、十二回中国共産党中央委員会の委員に就任。 *1978年3月、第五回全国人民代表大会常務委員会の委員に就任。同年5月、第五回全国人民代表大会常務委員会副の秘書長に就任。 *1981年8月、第五回全国人大常委会機關党組の成員に就任。 *1982年-1987年、中国共産党中央顧問委員会の委員に就任。 *2014年4月15日、96歳で北京市にて死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「羅青長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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