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この記事では美(び、 カロン、 、フランス語:beauté、)について解説する。 == 概説 == まず辞書や百科事典でどのように説明されているのか見てゆく。 広辞苑ではまず次のような説明を掲載している。 *美しいこと。美しさ〔広辞苑第六版【美】〕 *よいこと。りっぱなこと〔。 そして3番目に哲学用語の「美」を挙げており次のような説明になっている。 *(哲学)知覚・感覚・情感を刺激して内的快感をひきおこすもの〔。 ブリタニカ百科事典では、(広辞苑の3番目に挙げてある哲学的説明から入り)、「感覚、特に視聴を媒介として得られる喜悦・快楽の根源的体験のひとつ」としている〔ブリタニカ百科事典【美】〕。 ;感覚的な美と精神的な美。様々な位相の美。 そしてブリタニカ百科事典ではつづいて次の注意点を指摘している。 * 対象にみられる均衡・充実・輝きによって惹起される(タイプの美もある)〔 * だが、直接感覚を通さない いわゆる《精神美》も考えられ〔、それは「超越美」と呼ばれる〔。 つまり、一方で 美には直接の感覚による美があるが、他方、直接感覚に依存せず 精神的に感じられる美もある、と言っているのである。人はたとえば「彼の一生懸命な生きざまは美しい」「最後まで正義を貫いたこのお方の人生は本当に美しい」などということがある。また「美しい心の持ち主」と言うこともあるわけである。 (これと関連するが)今道友信は、『岩波講座哲学 (6)芸術』の「美学と芸術理論」の章において、美は自然の事物等に対する感覚的に素朴な印象から、芸術作品に対して抱く感動の感情、あるいは人間の行為の倫理的価値に対する評価にいたるまで、さまざまな意味と解釈の位相を持っている、ということを指摘した〔今道友信「美学と芸術理論」『岩波講座哲学 (6)芸術』、p.13。〕〔今道友信は、より厳密な表現においてであるが、自然・技術・芸術・人格存在のありようにおいて、「美の位相差」を論じている。〕。 ;美しいものの具体例 人が例えば何を美しいと言うかというと、人は自分の祖国や故郷を美しいと言うことがあり、男性は形の整った女性を美しいと言うことがあり、そして女性は形の整った男性を美しいと言うことがあり、数学者は方程式のある種の解法を美しいと述べることがある〔「はしがき」『岩波講座哲学 (6)芸術』、i。巻頭の「はしがき」において、編者は、「大和の国は美しく、小野小町は美しく、方程式のこの解法は美しいという」と記している(引用)〕。〔これらは別の「美しいもの」によって例示可能である。〕。〔数学者が感じる美についての説明は「数学的な美」という詳細な記事が書かれているので、必要ならば参照のこと。〕 またモーツァルトやフォーレの音楽は、「繊細な美しさを持つ」〔「はしがき」『岩波講座哲学・芸術』、i。〕と言われることがある。 ヘルマン・ヘッセは、作品に『青春は美し』という題をつけた。その意味で、青春も美しいとされることのあるもののひとつと言えよう(ただし、青春は人それぞれで、実に様々な形容詞がつけられている。) ;美と芸術の相違 「美」と「芸術」は異なる。『岩波哲学講座 (6)芸術』の「はしがき」を書いた人によると、美しいものは必ずしも芸術ではない〔「はしがき」『岩波講座哲学・芸術』、i。〕」。美しいものすべてが芸術というわけではない。また、逆に芸術作品すべてが美しいというわけでもない。 ;美と存在論 プラトンは《超越美》(=「精神美」。上ですでに説明)は実在する、と述べ〔、個々の美しいものは、この超越美の分有である、と述べた〔。(イデア論) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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