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美保関事件[みほのせきじけん] 美保関事件(みほのせきじけん)とは、1927年(昭和2年)8月24日に大日本帝国海軍で夜間演習中に起こった艦艇の多重衝突事故である。美保関沖事件ともいう。 == 概要 == 日本海軍は、ワシントン海軍軍縮条約の結果として保有主力艦艇の総排水量を制限された。それに対抗して、連合艦隊司令長官加藤寛治は「訓練に制限無し」の掛け声の下、1926年(大正15年)11月以来、将兵に連日激しい訓練を強いており、小規模な事故が相次いでいた。 翌1927年8月24日、島根県美保関沖での徹夜の夜間無灯火演習中に軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」が衝突事故を起こし、「神通」は艦首を喪失する大破、「蕨」は沈没した。このとき「神通」を避けようとした後続の軽巡洋艦「那珂」も駆逐艦「葦」に衝突し両艦も大破した。 これを美保関事件と称する。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美保関事件」の詳細全文を読む
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