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美濃焼 : ウィキペディア日本語版
美濃焼[みのやき]

美濃焼(みのやき、Mino Yaki - Mino Ware)とは、岐阜県土岐市多治見市瑞浪市可児市を主たる産地とする陶磁器の総称である。
1978年(昭和53年)7月22日に、通商産業省(現経済産業省)伝統的工芸品に認定されている。
美濃焼が主に生産される岐阜県東濃地域は、日本最大の陶磁器生産拠点であり、日本の陶磁器生産量の約半分を占めている。
== 歴史 ==
平安時代に作られた須恵器から発展し、鎌倉時代以降、瀬戸市周辺の丘陵地帯ほどではないが古瀬戸系施釉陶器を焼く斜面を利用した窖窯による陶器生産〔田口1983,p.33。最古の窯は多治見市の赤曽根窯である。〕が開始された。15世紀初頭に土岐市域に窯が散在的に築かれる〔これを妻木氏と関連付ける研究者もいる(cf.田口1983,p.35)〕。16世紀織田信長の経済政策によって瀬戸市周辺の丘陵地帯の陶工たちも美濃地方(土岐川以北)の集落に移り住んで〔瀬戸市周辺から窯が消失するこのような現象をしばしば瀬戸山離散と呼びならわされてきたが、その時期を古瀬戸後期の窯が妻木氏が領国を経営するために東濃地方にさかんに築かせた15世紀前半とする説、窖窯が大窯に代わられる16世紀前半に、瀬戸市内の窯が減少することを指すとする立場、瀬戸市域で生産をおこなおうにも薪や釉薬、陶土原料や材料がないために窯が築かれなくなり、美濃が窯業生産の中心となる16世紀後半に位置付ける立場がある(藤澤1993,pp.432-433)。〕窖窯よりも焼成効率に優れた地上式の単室窯である大窯を多数築いた。桃山時代に、志野焼に代表されるような「美濃桃山陶」が焼かれ一大産地となり、美濃焼の基礎が築かれた。江戸時代になると、窯体構造は、大窯から連房式登窯となり、志野焼に加えて織部焼の優品が生み出された。江戸時代中期に「御深井」が焼かれる。江戸時代末期に磁器の生産が始まり現在では日本の和食器・洋食器の大半を生産する大窯業地となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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