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美濃郡代(みのぐんだい)とは、江戸時代に4ヶ所設置された郡代の一つ。 == 概要 == 美濃国と伊勢国桑名郡の一部の幕府直轄領の民治を司る行政官であり代官である。 美濃国は関ヶ原の戦い後、幕府がこの地に有力な大名が出現しないように、10万石未満の多数の藩と幕府直轄領に細分する。この結果、美濃国の約3割は幕府直轄領となる。 当初、美濃郡代の陣屋は、1604年(慶長9年)に小早川秀秋の家臣である平岡頼勝が、可児郡徳野(現可児市徳野)に築いた徳野陣屋にあった。平岡頼勝は徳野藩1万石の大名であり、この地を治めていたが、子の平岡頼資の死後、徳野藩は取り潰されている。 1650年(慶安3年)、岡田将監善政(岡田善政)が木曽川の堤防工事の為、交通の便の良い羽栗郡傘町に仮陣屋を置く。 1669年(寛文2年)、名取半左衛門が正式に傘町に陣屋を移し、地名を傘町から笠松に改める(現笠松町)。以後明治維新まで、笠松陣屋に美濃郡代は置かれる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美濃郡代」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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