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美術家平和会議(びじゅつかへいわかいぎ)は、「平和美術展」を開催する美術団体。朝鮮戦争のさなかの1952年に創立された「美術家平和懇談会」が前身〔鳥居敏文プロフィール 練馬区立美術館〕〔法政大学大原社研 1952年の婦人の平和擁護運動〔日本労働年鑑 第26集 643〕 〕。文化団体連絡会議の構成団体でもある。 「平和の壁に花一輪を」をキャッチフレーズ〔「平和美術展が始まる」2005年7月31日「しんぶん赤旗」 〕に、東京都内で「平和美術展」を開催するグループの中心となっている。 東京の「平和美術展」の活動に倣って、地方都市でも「平和美術展」が開催されている。 多くの場合、毎年1回の「平和美術展」のためだけに毎回、実行委員会を結成しているが、関西美術家平和会議、広島平和美術協会、岡山平和美術会のように常設の組織を形成している場合もある。 地方都市では、各地の「平和のための戦争展」実行委員会と合同で会場を借り、「平和美術展」を開催している地域もある〔PEACE 21下関 〕。 日本美術会とメンバーが一部重複し、行動をともにすることもあるが別組織。 代表委員は、西常雄、小林喜巳子、宮本和郎、安和子〔公式サイト 〕。 「平和美術展」には、山下菊二、やなせたかし、桂川寛、熊谷榧、浅野琢也、四国五郎、若林景光らも出品したことがある。 ==経緯== *1952年、朝鮮戦争に危機感を抱いた美術家たちが美術家平和懇談会結成。東京都美術館で第1回「平和美術展」を開催。同年6月18日、野上弥生子、平塚らいてうら20名の婦人団体代表による破壊活動防止法反対の国会要請に、美術家平和懇談会、平和美術展委員会、日本美術会が名を連ねる〔。 *1969年8月、日本美術会と共催で沖縄全面返還のための版画展開催〔日本美術会と日本アンデパンダン展の略歴 日本美術会サイト内〕。 *1991年12月、「東京都美術館の借館料入場料の大幅な値上げを行わないとともに、管理運営の法人組織化や民間委託をしないよう求める」請願書を日本美術会、全日本職場美術協議会とともに。東京都議会に提出〔。 *2006年8月、頼近美津子司会、東京交響楽団出演の「子どもたちと芸術家の出あう街2006“夏祭り”」の実行委員会に日本美術会、全日本職場美術協議会などともに参加〔Let's Enjoy TOKYO 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美術家平和会議」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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