|
美鈴湖(みすずこ)は、長野県松本市(旧東筑摩郡本郷村)にある湖である。 農業(灌漑)用水を確保するため池として築かれた人造湖で、古くからの名は芦の田池(あしのたいけ)。その歴史は安土桃山時代に始まり、昭和の大改修工事で規模を拡大し現在の姿になった。1953年(昭和28年)には美鈴湖と改称されている。 湖を取り囲む三才山からの流れが源流。湖より流れ出る水は女鳥羽川(めとばがわ)として松本市内を流下し、田川へ合流してすぐ奈良井川、犀川、千曲川として長野県を北上し県境を越え信濃川と名を変え日本海へ注ぐ。 == 歴史 == 美鈴湖の原型である芦の田池は、安土桃山時代後期の1597年(慶長2年)ころ信濃国松本藩によって築かれたとされている。その後江戸時代に入り1643年(寛永20年)、1698年(元禄11年)と二度の増築改修工事が行われた。 1929年(昭和4年)、農業生産量の拡大を目指し、池を増築する構想が持ち上がった。かねてより池の規模は水需要を満足させるものであったとはいえず、周辺の農村では水不足となると水をめぐってしばしば争いが起こっていた。1939年(昭和14年)には、この地域は大旱魃に見舞われており、これも拡大を推進するひとつの契機となった。 長野県は県営事業として事業に着手。現地測量、設計を行い、1941年(昭和16年)に農林省(現農林水産省)より事業について許可が下されたことを受け1943年(昭和18年)1月24日、本郷国民学校で起工式が行われた。途中、太平洋戦争による人手不足から工事に遅れが生じ、工事は終戦後も続行され、1951年(昭和26年)3月に完成した。同月24日には池のほとりで竣工式が催され、林長野県知事(当時)を始め600名が出席した。総工費2,566万円を投じた大改修工事により、水をめぐる地域間抗争に終止符が打たれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美鈴湖」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|