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羽川 英樹(はがわ ひでき、1953年(昭和28年)5月24日 - )は、タレント、ラジオパーソナリティ、フリーアナウンサー。おじさんフォークデュオ「ザ・ぼん」で音楽活動もしている。 元山陽放送・読売テレビアナウンサー。京都府京都市生まれ、宇治市育ち。豊中市在住。既婚、1男1女。170 cm。87 kg。ウエスト100cm。股下72cm。靴サイズ26.5 cm。阪神ファン。 == 来歴・人物 == 大丸京都店勤務の両親のもと、京都市で生れる。湯川秀樹にあやかり、「ひでき」と名付けられる。弟がいる。左京区前萩町を経て、伏見区墨染、宇治市で育つ。宇治市立宇治小学校、同志社香里中学校・高等学校、同志社大学文学部(心理学専攻)卒業。 小学校4年で伏見から宇治市六地蔵に引越し、京都新聞を読み始める。中学受験を経験し、エスカレーター式で大学まで行く。高校2年の時、初デート。中学・高校とオルフォイス・グリークラブ(男声合唱団)、大学では混声合唱団に所属しバリトンと指揮を担当。大学時代は大丸でアルバイト。 アナウンススクールで上田彰と山口進の教えを受け、1976年4月に山陽放送にアナウンサーとして入社。その1年後の1977年に関西へUターンし、読売テレビに入社。 1980年5月4日、同業の女性と結婚。岡崎の聖マリア教会で挙式、京都国際ホテルで結婚披露宴を行う。新婚旅行はアメリカ西海岸。 読売テレビのアナウンサーとして、「11PM」「2時のワイドショー」「歌のトップテン」「おはようニュースマガジン」「24時間テレビ」「全国高等学校クイズ選手権」などの全国ネット番組・ローカル番組に出演した経歴を持つ〔鉄ちゃんアナウンサー羽川英樹の「鉄漫」関西ぶらり列車旅紹介ページ内「著者略歴」 - Amazon.co.jp〕。 1993年、「読売テレビの番組は全て制覇した、管理職にはなりたくない。ラジオもやってみたい」との思いから同局を退社し、関西初のフリーアナウンサーとなり東京進出。ニッポン放送「羽川英樹のトップスターベスト100」(1993年 - 1994年)でパーソナリティを務める。 1995年、東京の事務所が倒産して大阪に帰り、昭和プロダクションに移籍し、豊中市のマンションに引越し。 ラジオ番組でパーソナリティーを務めるほか、朝日放送「ワイドABCDE〜す」や古巣の読売テレビ「遠くへ行きたい」等での温泉とグルメリポート等において幅広く活躍していた。 またイベント司会者・プランナーとして企業のイベントやホテルディナーショーなども担当。約10年間所属した昭和プロダクションから独立、2004年4月より自身が設立したプロダクション「ビッグフェイス」代表取締役。 2000年4月より名古屋に1年間単身赴任し、名古屋テレビ(テレビ朝日系)で夕方2時間のニュース番組「ニュースTRYあんぐる」のキャスターも務めた。 趣味として、露天風呂やB級グルメめぐり、また「鉄ちゃん」を公言するほどの大の鉄道ファンであり、自身を「レールウェイサポーター」と呼んでいる。中川家の中川礼二や同じフリーアナウンサーである小山田春樹らとともに、特に京阪電気鉄道を愛する。直通特急を運行する阪神電気鉄道・山陽電気鉄道沿線フリーペーパー「SEA SIDE EXPRESS」(2009年)より近鉄沿線にも広げて「SEA SIDE EXPRESS EAST WEST」に改題。2011年に休刊)にもコラムを執筆。乗り鉄、ダイヤ鉄。 自転車(クロスバイク)も趣味としていて、愛車は白色の12段変速アメリカ製トレック「英輪(ひでりん)」。 クリスチャン。学生時代に、ふとしたことから聖公会がルーツのキリスト教会に日曜日に行くことになって、牧師から、洗礼を受けてみないか、と言われ、家は浄土真宗ではあったが、高校生の時に洗礼を受ける。クリスチャンネーム(洗礼名)はヨハネ。ヨハネ羽川。一番多いポピュラーな名前を選んだ。 好物はつぶあん、コロッケ、讃岐うどん、茄子の煮浸し、ポテトサラダ。餅が苦手で、雑煮とぜんざいは餅抜きで食べる。 犬が苦手(犬嫌いではない)。 近視で、小学生の時からコンタクトレンズを使用。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「羽川英樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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