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羽根盛一[はね せいいち] 羽根 盛一(はね せいいち、1898年(明治31年)12月19日〔『新編日本の歴代知事』439頁。〕 - 1974年(昭和49年)〔『福井県大百科事典』744頁。〕)は、昭和期の日本の政治家、内務官僚。官選第35代富山県知事、公選第2代(通算第39代)福井県知事(在任期間は1955年4月26日~1959年4月22日、1期4年)。 ==経歴== 三重県多気郡出身〔〔『新編日本の歴代知事』439頁では、福井県出身。〕。羽根貞助の長男として生まれる。立命館中学校、大阪市立高等商業学校を卒業。1926年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1927年、京都帝国大学経済学部を卒業。立命館大学助教授となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』262頁。〕。 1929年、内務省に入省し岐阜県属となる〔。以後、高知県書記官・警察部長、栃木県部長・警察部長、新潟県警察部長、愛知県警察部長などを歴任〔。1947年2月、官選第35代富山県知事に就任(官選最後の知事、いわゆる公選管理知事)〔。同年4月に知事を依願免本官となり退官した〔『官報』第6082号、昭和22年4月25日。〕。その後、公職追放(特別高等警察に関係していたため)となる〔。 1951年に公職追放が解除され、福井県副知事に就任。1955年3月、副知事を退任。知事選挙で当選し、同年4月26日に福井県知事に就任した〔『新編日本の歴代知事』485頁。〕。1950年代の緊縮財政下にあって、福井県の財政再建に取り組んだ。国道305号線・越前海岸付近にある洞穴を鳥(観光客)を呼ぶ門として「呼鳥門」と名付けたことでも知られる。 1959年4月22日、福井県知事を退任。その後、吉崎ヘルスセンター会長を務めた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「羽根盛一」の詳細全文を読む
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