翻訳と辞書 |
羽藤一志[うとう かずし]
羽藤 一志(うとう かずし、1922年(大正11年)8月18日 - 1942年(昭和17年)9月13日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争のエース・パイロット。戦死による特進で最終階級は二等飛行兵曹。 ==経歴== 1922年8月18日、愛媛県今治市(旧越智郡玉川町)に生まれる。生後、父親の仕事で今治市常盤町に転居。父親が早くに亡くなり、母親が再婚、異父兄弟の妹と弟がいたが、兄弟仲は良かった。 1938年(昭和13年)6月、海軍飛行予科練習生乙飛9期生として入隊。同期の本間猛は、羽藤は予科練時代から温和な優男であり、級友は羽藤が戦闘機に行ったというので「羽藤が戦闘機にねえ」と言ったが、ひとたび戦場に出るや、闘志満々、戦意旺盛、零戦を駆って縦横無尽の活躍をして敵機十数機を撃墜したと語っている〔本間猛『予科練の空』光人社224頁〕。1941年(昭和16年)11月、三等飛行兵曹に任官される。1942年2月1日千歳航空隊(千歳空)配属。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「羽藤一志」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|