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翁文コウ[おう ぶんこう]
翁 文灝(おう ぶんこう)は、中華民国、中華人民共和国の地質学者・政治家。国際的にも優れた地質学者であり、また、国民政府で行政院長(首相)をつとめた人物でもある。字は咏霓、永年。号は君達。なお堂弟(父方の従弟)の翁文波も地質学者・物理学者として著名である。 == 事績 ==
=== 地質学者として === 祖父の翁歩雲は清朝の内閣中書を務めた人物である。翁文灝は、1902年、13歳で秀才となり、1906年(光緒32年)に上海の震旦学院でフランス語・数学等を習得する。1908年(光緒34年)、ヨーロッパに留学し、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学に入学して、地質学(特に岩石学)を専攻した。1912年(民国元年)、中国史上初の地質学博士となった。〔厳(1996)、49頁。〕〔徐主編(2007)、1252頁。〕〔劉国銘主編(2005)、1936頁。〕 帰国後は北京政府で地質学の専門家として各職を歴任し、1921年(民国10年)、丁文江の後任として農商部地質調査所長に就任した。その翌年には、中国地質学会副会長に就任している。1924年(民国13年)、北京大学・清華大学で教授となった。〔1931年7月に、清華大学校長代理を一時務めている。〕その後も、国内各地で実地調査を進め、地質学・鉱物学・地震学・地理学等の様々な分野において多くの論文・著作を発表した。1934年(民国23年)には中国地理学会の初代会長に選出された。さらに、国際地質学会でも副会長を務めたほか、海外の大学からさまざまな栄誉を受賞している。〔厳(1996)、49-52頁。〕〔〔
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