翻訳と辞書
Words near each other
・ 習合
・ 習合思想
・ 習字
・ 習得
・ 習得技能
・ 習志野
・ 習志野きらっとスプリント
・ 習志野の永久堡塁
・ 習志野タクシー
・ 習志野ナンバー
習志野俘虜収容所
・ 習志野分屯基地
・ 習志野原
・ 習志野原の永久堡塁
・ 習志野原子和清水給水
・ 習志野原御猟場
・ 習志野台
・ 習志野台中学校
・ 習志野台団地
・ 習志野台第一小学校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

習志野俘虜収容所 : ウィキペディア日本語版
習志野俘虜収容所[ならしのふりょしゅうようじょ]

習志野俘虜収容所(ならしのふりょしゅうようじょ)は、千葉県千葉郡幕張町実籾字実花新田(現・習志野市東習志野)にあった陸軍習志野演習場区域内に開かれた俘虜収容所である。第一次世界大戦期、ドイツ人捕虜約1,000人を収容した事で後世に知られるようになった。収容所長は西郷隆盛嫡子である西郷寅太郎大佐が務めていた。また、西郷所長が在職中に死亡した後は、山崎友造大佐(後に少将)が収容所の閉鎖まで所長を務めた。
== 概要 ==
第一次世界大戦時にドイツの租借地であった中華民国青島で、日本の捕虜となったドイツ兵4,715名のうち、約1,000名を1915年大正4)から1920年(大正9年)まで収容した施設である。建設費用は43,000円で、収容所(1,300坪)に加え、その他所員の詰所、炊事所、物置、附属舎など数百坪という大規模な施設だった。日露戦争時にロシア人捕虜を収容した施設とは異なる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「習志野俘虜収容所」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.