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翟成(てきせい、拼音:Dí Chéng 、? - 385年)は、五胡十六国時代の丁零族の首長。翟真の従弟。 ==生涯== 385年4月、翟真が承営から行唐に移ると、翟真の司馬である鮮于乞〔『資治通鑑』では「鮮於乞」〕は翟真およびその一族を殺し、自ら立って趙王となった。営人は共に鮮于乞を殺し、翟真の従弟である翟成を立てて主とした。翟真の子の翟遼は黎陽に奔走した〔『晋書』載記第二十三〕。5月、燕王の慕容垂は常山に至り、翟成を行唐で包囲した。7月、翟成の長史である鮮于得〔『資治通鑑』では「鮮於得」〕は翟成を斬って慕容垂に降った。慕容垂は行唐を攻め落とし、翟成の衆をことごとく穴埋めにした。〔『資治通鑑』卷第一百六〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テキ成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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