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老松一吉[おいまつ かずよし] 老松 一吉(おいまつ かずよし、おいまつ かずきち〔レークプラシッドオリンピックIOC公式報告書 では「Oimatsu, Kazuyoshi」と記され(p.219)、ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックIOC公式報告書 では「Oimatsu, Kazukichi」と記されている(p.381)。どちらが正しい読みなのか確定させるための資料が見つからないため、ここでは「かずよし」「かずきち」の2つの読みを併記する。〕、1911年(明治44年)10月30日 - 2001年(平成13年)3月24日〔となみ野ストーリー 第32回.日本初のオリンピックスケーター 〕)は、日本の男性フィギュアスケート選手。富山県〔富山県スポーツ年史 3 〕東礪波郡出町(現・砺波市)〔富山新聞社 『富山県大百科事典』 p.152〕出身。レークプラシッド五輪、ガルミッシュパルテンキルヒェン五輪男子シングル日本代表。ガルミッシュパルテンキルヒェン五輪では日本選手団の旗手。日本初のフィギュアスケートのオリンピック代表選手の一人。 == 経歴 == 中学2年の時、大阪でスケートを始める。1930年(昭和5年)、第1回全日本選手権に最年少で出場し5位に入る。翌1931年、第2回全日本選手権では優勝する。1932年(昭和7年)には北米に遠征し、レークプラシッドオリンピックで9位、世界選手権で7位となった。 1933年、第4回全日本選手権で2位。1935年、第6回全日本選手権で3位。1935年11月のオリンピック最終予選で3位となり、代表となった。翌1936年(昭和11年)には欧州に遠征し、ヨーロッパ選手権で9位、ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックで20位、世界選手権では15位となった。 戦後、フィギュアスケートのコーチとなる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「老松一吉」の詳細全文を読む
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