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耶律仲禧 : ウィキペディア日本語版
耶律仲禧[やりつ ちゅうき]
耶律仲禧(やりつ ちゅうき、生没年不詳)は、(契丹)の政治家。本姓は李氏。本貫南京析津府(現・北京西南)。
== 経歴 ==
重熙年間、初めて出仕した。清寧初年、同知南院宣徽使事となった。4年(1058年)、鴨子河・混同江の間に築城し、北院宣徽使に任じられた。咸雍初年、誤った上奏をおこなったため、楡州刺史として左遷された。まもなく旧職に復し、漢人行宮都部署に転じた。
7年(1071年)12月に、朝廷から国姓の耶律姓を賜った。8年(1072年)12月、韓国公に封じられた。9年(1073年)8月、南院枢密使に転じた。太康3年(1077年)、耶律乙辛らが皇太子耶律濬を誣告すると、仲禧は乙辛らに都合のいい調査結果を提出し、皇太子一派を冤罪に落とすのに一役買った。4年(1078年)11月、広徳軍節度使に任じられた。6年(1080年)3月、再び南院枢密使となった。死去すると、は欽恵といった。
子に耶律儼らがあった。孫は遼の宰相・耶律処温である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「耶律仲禧」の詳細全文を読む



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