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耶律古イク
耶律古昱(やりつ こいく、983年 - 1052年)は、遼(契丹)の軍人。字は磨魯堇。 == 経歴 == 北院林牙耶律突呂不の四世の孫にあたる。開泰年間、烏古敵烈部都監となった。部民の乱が起こると、枢密使耶律世良の下で乱を討ち、功績により西北部の鎮撫を命じられた。部民に植樹や牧畜を教え、数年たたないうちに、部民の多くは富をたくわえるようになった。中京大定府で乱が起こると、古昱は中京巡邏使に任命されて、反乱者をことごとく捕らえた。4年(1015年)、聖宗が高麗に親征すると、古昱は黄皮室軍を率いて高麗軍を撃破し、御史中丞に累進した。まもなく開遠軍節度使となり、帰徳に駐屯した。太平7年(1027年)、北院大王となった。 重熙21年(1052年)、天成軍節度使に転じ、在官のまま死去した。享年は70。同中書門下平章事の位を追贈された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「耶律古イク」の詳細全文を読む
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