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耶律婁国[やりつ ろうこく] 耶律婁国(やりつ ろうこく、生年不詳 - 952年)は、遼(契丹)の皇族。字は勉辛。 == 経歴 == 耶律突欲の次男として生まれた。天禄5年(951年)、武定軍節度使に遥任された。耶律察割が世宗を殺害すると、寿安王耶律璟は林牙耶律敵猟の策を用いて察割を誘い出し、婁国が手ずから察割を斬った。婁国は南京留守に転じた。 応暦2年(952年)、穆宗は酒に溺れて、政治をかえりみなかったので、婁国にも反逆の心が芽生え、耶律敵猟らを誘って反乱を計画した。計画が発覚して取り調べを受けたが、認めようとしなかった。穆宗は「朕が寿安王だったとき、卿はたびたび反逆のことを説いたが、今日あれは嘘だったというのか」と訊ねた。婁国は答えることができなかった。婁国の一党がことごとく捕らえられると、可汗州の西の谷で縊り殺され、断崖絶後の地が選ばれて葬られた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「耶律婁国」の詳細全文を読む
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