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耶律滑哥[やりつ かつか] 耶律滑哥(やりつ かつか、生年不詳 - 913年頃)は、遼(契丹)の皇族。字は斯懶。 == 経歴 == 隋国王耶律釈魯の子として生まれた。父の妾を殺し、発覚をおそれて蕭台哂らとともに釈魯を殺害した。台哂は処罰されたが、滑哥は処罰されなかった。 太祖元年(907年)、耶律阿保機が即位すると、惕隠に任じられた。6年(912年)、耶律剌葛・耶律迭剌らの諸弟の反乱に加担した。反乱が鎮圧されると、群臣の評議により、滑哥の罪を許すことはできないと決議され、その子の耶律痕只とともに陵遅により処刑された。その資産は剥奪されて軍士に分与された。耶律阿保機は「滑哥は上天をおそれず、君にそむいて父を弑し、その悪は言うべからず。諸弟が乱をなしたのは、みなこの人がこれを教えるなり」と評した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「耶律滑哥」の詳細全文を読む
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