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耶律迭里[やりつ てつり] 耶律迭里(やりつ てつり、生年不詳 - 926年)は、遼(契丹)の軍人。 == 経歴 == 本部夷離菫の耶律楚不魯の子として生まれた。幼いころは病気がちで、耶律阿保機が撻馬狘沙里となると、迭里を可愛がって育てた。神冊6年(921年)、迭里は惕隠となり、阿保機の下で龍軍を率いて阻卜や党項を討ち、功績を挙げた。天賛3年(924年)、南院夷離菫となった。南府宰相の耶律蘇とともに西南の地の経略にあたった。天顕元年(926年)、渤海国を攻撃して、忽汗城を包囲し、多くの兵を捕殺した。阿保機が死去して述律皇后が称制すると、皇后は大元帥耶律堯骨に帝位を嗣がせようとした。迭里は嫡長の東丹王耶律突欲を立てるよう建言した。東丹王の党与として、獄に下され、拷問を受けた。屈服しなかったため、この年の11月に殺害された。 子に耶律安摶があった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「耶律迭里」の詳細全文を読む
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