翻訳と辞書
Words near each other
・ 耶律迭里
・ 耶律速撒
・ 耶律道隠
・ 耶律適禄
・ 耶律那也
・ 耶律重元
・ 耶律鐸臻
・ 耶律鐸軫
・ 耶律阿保機
・ 耶律阿列
耶律阿思
・ 耶律阿没里
・ 耶律阿海
・ 耶律隆先
・ 耶律雅里
・ 耶律頗的
・ 耶律頽イク
・ 耶律頽昱
・ 耶律題子
・ 耶律馬六


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

耶律阿思 : ウィキペディア日本語版
耶律阿思[やりつ あし]
耶律阿思(やりつ あし、生没年不詳)は、(契丹)の政治家軍人は撒班。
== 経歴 ==
耶律独の子として生まれた。清寧初年、祗候郎君に補任された。弓射を得意とし、狩猟の差配をつかさどって、渤海近侍詳穏に進んだ。
9年(1063年)、耶律重元の乱が起こると、阿思は護衛蘇とともに耶律涅魯古を射殺し、靖乱功臣の称号を賜った。太康9年(1083年)、契丹行宮都部署に転じた。太安2年(1086年)、知北院大王事を兼ねた。4年(1088年)、漆水郡王に封じられた。寿昌元年(1095年)12月、北院枢密使となり、監修国史をつとめた。
乾統元年(1101年)、道宗が死去すると、遺命を受けて于越の位を加えられた。耶律乙辛の党与のうち罪の重い者から賄賂を受けて、多くの者に寛大な処置を取った。蕭合魯が辺境の軍備の増強を提案したことがあったが、阿思はつとめてこの案に反対したため、金のために国を売ったとそしられた。
後に病気のため口が利けなくなって致仕し、尚父の位を加えられ、趙王に封じられた。80歳で死去すると、斉国王に追封された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「耶律阿思」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.