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カエサリアのドロテア (Saint Dorothea of Caesarea、Saint Dorothy、Dora)( - 311年2月6日) はカエサレア・マザカで処刑された4世紀の殉教者。カトリック教会と正教会の聖人である。正教会では聖致命女ドロフェヤと表記される〔『正教会暦 主降生2012年』日本ハリストス正教会教団〕。記念日は2月6日。 ドロテアはディオクレティアヌスの退位後に殉教したが、ディオクレティアヌスによる最後の大迫害による殉教者とされている。しばしばアレクサンドリアのドロテアと混同される。彼女の言行や歴史的実在性の証明はほぼ残されてない。 ドロテアとテオフィロス(Theophilus)は『''ローマ殉教史''』〔マルティロロギウム・ローマーヌム(Martyrologium Romanum)。カトリック教会の殉教録。〕にカッパドキアのカエサリアの殉教者として記録されており〔Martyrologium Romanum (Libreria Editrice Vaticana 2001 ISBN 88-209-7210-7)〕、正式な聖人とされているが、聖人伝以外では歴史的に実在した証明ができないため、1969年以降はカトリック教会の聖人暦には記載されていない〔1969年、パウロ6世によって聖人暦が改訂施行された。〕。 == 生涯 == 最も古いドロテアについての記述は『''ヒエロニムスの殉教者伝''』(Martyrologium Hieronymianum)に見ることができる。 この最初の記録には三つの基本的な事柄、すなわち「殉教した日」「その場所」「名前とテオフィロスとの出来事」について記されている〔Joseph Martin Peterson, ''The Dorothea Legend: Its Earliest Records, Middle English Versions, and Influence of Massinger’s "Virgin Martyr"'' (University of Heidelberg, 1910), 13.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カエサリアのドロテア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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