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聖パトリックの青 (セントパトリックスブルー。St. Patrick's blue) とは、アイルランドのシンボルであると考えられるいくつかの青系の色合いにたいして使われる名称である。英国の慣習においては、聖パトリック勲章と結び付けられる複数のスカイブルーの色調を指す〔 〕。アイルランド共和国の現在の慣習では、これはより濃い色調を示すかもしれない〔。一方、緑色はいまではアイルランドの一般的なナショナルカラーであり、「聖パトリックの青」はいまだいくつかのシンボルで見ることができる。 ==歴史== === 起源 === アイルランド神話において、アイルランドの君主''Flaitheas Éireann''は青いローブを着た女性として描かれていた。ミゼ (Mide) の旗 (flag of Mide) は青地であったが、その図案がアイルランドの紋章として使われたとき、その地はセーブルであった〔。 ヘンリー8世が自身をアイルランド王国の王であると宣言した際、その紋章は青地にハープであった。これはイギリス王旗 (Royal Standard of the United Kingdom) の左下に今日でも見ることができる。 聖パトリック勲章は1783年にアイルランド王国の最高勲章として設立されたが、大綬の色はその前に制定されたイングランドのガーター勲章のダークブルー、スコットランドのシッスル勲章の緑とは異なる色である必要があった。オレンジ団 (Orange Institution) からオレンジ色も考えられたが、あまりに偏りすぎていると感じられたことから結局、アイルランドの紋章のより淡い青が選ばれた〔 〕 。聖パトリック騎士と役職についていた人物たちは、「空色」のマントとリボン、「青」のラインが入った帽子、そして「青」のほうろうびきのバッジをつけていた〔 〕。なお、「聖パトリックの青」の呼び名は一般的なものではあったが、騎士団によって公式に使われることは無かった〔Galloway, p.174〕〔 〕。実際に使われた色調はその時々によって多岐にわたる。緑がかった空色はイーヴァー伯エドワード・セシル・ギネスによって1895年に使われ、1903年に確かな証拠がある〔 。これは英国においては現在でも通例となっている色である.〔。騎士団最後の生き残りであるグロスター公ヘンリーは1974年に死去したが、騎士団は現在も厳密に言えば存続している。 はたして青は、騎士団設立以前のアイルランドのナショナルカラーであったのか、さらにそれは騎士団とは別に聖パトリック自身と関連付けられるのかどうか、という議論がある。シェーン・レスリー (Shane Leslie) は聖パトリックの青緑を「しかし、すべての色の愛好者ケルト人によって使われたウォード染めの回想」かもしれないと推測している〔 〕。コンスタンス・マルケビッチ (Constance Markiewicz) は青を「アイルランドの古の色」でありアイルランド市民軍 (Irish Citizen Army。ICA) の記章に取り入れられたと思っていた〔 〕。北斗七星旗 (Starry Plough) であったICA旗の地は青であった。古史研究家でありナショナリストであったフランシス・ジョセフ・ビッガーは聖パトリックの青は「偽の色」であり、聖パトリック旗は「偽の旗」であると考えていた〔 〕。近年では、ピーター・アルター (Peter Alter)やクリスティアン・マーオニー (Christina Mahony)は色の史的確実性を支持する一方、ブライアン・オクイーヴ (Brian Ó Cuív) はこれに疑問を呈している〔 〕。パリのアイリッシュ・カレッジ (Irish College) は1776年に完成し2002年に修繕されたが、聖パトリックの青はチャペルの壁において見つけることができる〔 〕。聖パトリックと緑色との関係については、1681年にトマス・ディナリー (Thomas Dinely) が、聖パトリックの祝日に人々は帽子に緑色のリボンの十字を着けている、と記している〔 ; cited in 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「聖パトリックの青」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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