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北白川宮(きたしらかわのみや)は、明治初期、伏見宮邦家親王の第13王子・元聖護院門跡の智成親王が創設した宮家。元は智成親王が兄宮嘉言親王から継承した聖護院宮を改称したもの。 == 系譜 == === 聖護院宮嘉言親王 === 先代嘉言親王は、1821年(文政4年)に誕生。天保2年に出家、雄仁入道親王と称した。同年、光格天皇の猶子となり、天保3年に親王宣下。慶応4年還俗し聖護院宮を名乗るも、同年に薨去。聖護院宮は弟宮で元は同じ聖護院預かりとなっていた智成親王が継承した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北白川宮」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kitashirakawa-no-miya 」があります。 スポンサード リンク
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