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聶 憲藩(じょう けんはん)は、清末民初の軍人。北京政府で要職についた。字は維城。父は聶士成。 == 事績 == 日本へ留学して東京振武学校を卒業する。帰国後は、直隷営務処提調、済南巡防営隊官、北洋督練公所参謀処総弁を歴任した。 中華民国成立後の1912年(民国元年)6月、署理山東登州鎮総兵に任じられた。翌年8月、煙台鎮守使に異動し、中将に昇進した。1919年(民国8年)12月から1921年(民国10年)8月まで、安徽省省長をつとめた。その翌年5月に、歩軍統領衙門統領に任命される。10月には憲威将軍の位を授与された。1924年(民国13年)10月、歩軍統領衙門は廃止され、聶憲藩は京畿警備副司令に異動した。 1933年(民国22年)、死去。享年54。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「聶憲藩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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