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肝付 兼三(きもつき かねひろ、1585年)は、大隅国肝付氏庶流の武将で、薩摩国島津氏の家臣。加治木城主。 == 略歴 == 肝付兼寛の後当主を相続したのは伊集院忠棟の三男の兼三が継ぐ。 兼寛の弟の兼篤もいたが、伊集院忠棟の力も強く養子にはいる。 1599年に父伊集院忠棟が朝鮮から戻った島津忠恒に伏見で手討ちにされ、兄がおこした庄内の乱が起こると肝付家を離れる事になる。 肝付家は肝付兼篤が継ぐ事となる。1602年に伊集院忠真が討たれた日に、伊集院一族ともに、兼三も粛清された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「肝付兼三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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