翻訳と辞書
Words near each other
・ 肝上
・ 肝下
・ 肝下垂
・ 肝不全
・ 肝中心静脈
・ 肝付久兼
・ 肝付兼三
・ 肝付兼両
・ 肝付兼久
・ 肝付兼亮
肝付兼伯
・ 肝付兼光
・ 肝付兼善
・ 肝付兼固
・ 肝付兼太
・ 肝付兼寛
・ 肝付兼屋
・ 肝付兼幸
・ 肝付兼忠
・ 肝付兼柄


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

肝付兼伯 : ウィキペディア日本語版
肝付兼伯[きもつき かねたか]
肝付 兼伯(きもつき かねたか、享保11年(1726年) - 宝暦11年11月19日1761年12月14日))は、薩摩藩(鹿児島藩)家臣、第7代喜入肝付家当主。
父は肝付兼逵。母は北郷久嘉の娘。子は肝付兼満。通称は弾正、主殿。
== 略歴 ==
享保11年(1726年)、肝付兼逵の子として生まれる。元文2年(1737年)、元服する。元文4年(1739年)、父の死去により家督を相続する。
延享元年(1744年)、火消奉行となる。延享3年(1746年)、幕府巡見使を領内に迎える。延享4年(1747年)、百次地頭職。宝暦元年(1751年)、大御所徳川吉宗薨去の際に、弔問使として江戸に下る。宝暦3年(1753年)、藩主継豊の謝恩使として江戸に下り、江戸城で将軍家重に拝謁する。宝暦8年(1758年)、加久藤地頭職。宝暦9年(1759年)、寺社奉行。宝暦11年(1761年)11月19日没。享年36。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「肝付兼伯」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.